『ぼくと1ルピーの神さま』 ヴィカス・スワラップ著
■ 内容
映画「スラムドッグ・ミリオネア」の原作。
インド版のTVプログラム「クイズ・ミリオネア」に出場した少年が見事クイズに全問正解し、賞金の10億ルピーを勝ち取る。
番組側は予想外の事態に何とか彼の不正をでっちあげようと警察とグルになり彼を逮捕する。
しかし彼はただ答えを「知っていた」という。
彼が目にしてきたのはインド社会の闇に隠された激しい貧富の差、未だ残る身分制度、暴力に殺人、幼児虐待・・・
学校にも通ったことのない少年は一体どのような体験を通してクイズの答えを知り得たのか?
果たして彼は賞金を手にすることができるのか?? というお話。
■ 感想
多くの旅人を惹きつけて止まないインドの影の部分、主にカースト制度について知りたかったので手に取った。
実話ではないし、カーストの話は多分一言もでてこなかったけど、
恐らくストーリーに出てくる過酷な描写は、実際にスラムに生きる人々の現実なんだろう。
というのがわかるので充分。
でもインドの同性愛者はキモいおっさんしかいないわけ?と言いたくなるくらい、
出てくる同性愛者はどれも暴君か痴漢か。
物語を面白くするための技巧なんだろうけど、
インドは法律でまだ同性愛(間の性行為)を禁止しているらしい。
ビザの性別の項目はmale/female/transgenderが選べるくらい、第三の性は認められてるくせに・・・
と思ったら、つい昨日?ニューデリーでプライドがあったみたい。
インドのプライドパレードは凄そう。
(ここで著者は外交官で親は弁護士らしいという情報がwikipediaより入り、面白かった。という私の感想に少しバイアスがかかる・・・)
■ 本文抜粋
彼らは僕が逮捕された理由さえ知ろうとしないだろう。
でも二人組みの警官が乗り込んできたときには、僕だって逮捕の理由なんか考えようともしなかった。
そもそも自分の存在自体が、違法だと思ってしまうような毎日を送っているのだ。
ごみためみたいな場所での、最低な暮らし。わずかのスペースをめぐる熾烈な争い。
クソをするにも列を作ってならばなくちゃならないような毎日。
そんな生活をしていたら、いつどんな理由で逮捕されてもおかしくないと思い始める。(p.12)
「あなたはいつ呼吸をすることを覚えたか言えますか?言えないでしょう?気がついたらあなたは息をしていたはずだ。
僕は学校にもろくに通わなかった。本も読まなかった。でも確かに、僕は答えを知っていたんです」
「つまり、こういうこと?あなたが答えを知っていたわけを理解するためには、あなたの人生を全部知らなければならない」
「多分」 (p.36)
列車の旅は、可能性に満ちている。それは現状が変わる可能性だ。つまり目的地に着いたときの自分は、出発したときの自分とは、まったく違う人間になっているかもしれないのだ。
新しい友達ができるかもしれない。かつての敵に出くわすかもしれない。傷んだサモサを食べて下痢をするかもしれない。かつての敵に出くわすかもしれない。
そしてひょっとしたら、熱烈な恋に落ちるかもしれない。(p.225)
この男は、いろんな死に方をする可能性があった。混み合った市場で警官と鉢合わせして撃たれたかもしれない。
屋台でお茶を飲んでいるときに、抗争相手のギャングに殺されたかもしれない。
コレラかガンかエイズにかかって病院で死んでいったかもしれない。
でも、そうはならなかった。
彼は僕に撃ち殺されたのだ。
その上、僕は彼の名前さえ知らない。
列車の旅は可能性に満ちている。だが心臓に穴が開いてしまったら、すべての可能性は消えてなくなる。
死人に旅を続けることはできない。もう物売りにも検札係にも会うことはない。(p.238)
僕はこれまで、あまりにも多くの不運に見舞われてきた。そして心の片すみには、常につきまとって離れない恐怖があった。
いつか赤いランプをつけたジープが、殺人容疑で(名前のない強盗か、シャンタラムか、それともニーリマ・クマーリか)僕を逮捕しにくるんじゃないかという恐怖だ。
そんな生活を送っていると、未来を夢見て計画を立てようという気が起きなくなる。
僕はお金も自分の人生も、とてもぞんざいに扱うようになったーーまるで手にいれるのも失うのも簡単な、消耗品のように。
その結果、アパートの住人たちの間で、気安く金を貸してくれるやつと評判をとることになった。(p.362)
このぜいたくな光景を見ていると、僕はなんだか落ち着かなくなる。サリムと僕はムンバイでよく金持ちの結婚式にもぐりこみ、無料の食べ物にありついていた。
でもその時の僕たちは、彼らの富をうらやんだりしなかった。
けれどこの金持ちの大学生たちが湯水のようにお金を使うのを見ていると、僕はこれまで味わったことのない感情にとらわれる。
僕自身のひどい生活とくらべ、あまりの違いに痛みすら覚えるほどだ。テーブルの上に山のようにごちそうがあるにもかかわらず、僕の空腹感は煙のように消えてしまう。
そのとき僕は、自分の中の変化に気づく。欲望が金の力で全部かなえられてしまい、何も望むものが残されていないというのは、どんな気持ちがするものだろう?
欲望のない人生というのは、それほど望ましいものだろうか?欲望の欠如は金の欠如よりはましなのだろうか? (p.368)
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